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この冬はインフルエンザやノロウイルスがはやっていて、Mちゃんは年末からずーっと家族みんなが病気続きだと、子育ての大変さを痛感しているようでした。私は早くに結婚したので、もう子供は成人してしまい子育てで悪戦苦闘していた日々が懐かしく感じられます。

娘が小さな時は、何度言っても言うことを聞かないわが娘に腹が立つことばかりで「どうしたらよその子みたいに聞き分けの良いこになるのかなぁ」って半ば諦め気味に嘆いていたものです。
小学校に入学してからしばらく登校拒否になり、ちゃんと普通の子みたいに育てることの出来ない自分が情けなく、自分を責めていた時期もありました。

一人っ子だった娘のことをせめて人並みに育てなきゃと、私は子育てのストレスでいっぱいになっていました。
私が頑張れば、頑張るほどに娘は萎縮して、また、逆に反抗するようになり途方にくれたこともありましたっけ。

ところが、私が働きに出るようになり、外の世界に触れるようになって、私自身も変わっていったのか、娘もドンドン変わり始めました。

働きに出て人と触れ合う中で娘は、私と一番似ている別の人格なのだと割り切ることができるようになりました。
私が生んだ子供なのだから、わたしの思うように育つという思い込みがどこかにあって、自分の理想をいつの間にか子供に押し付けていたことに気が付いたんです。

何時も、よその子と比べたり、せめて普通の子のようにって、全部自分の思い込みを押し付けていたら、娘だって息が詰まって苦しかったことでしょう。今思い返しても、かわいそうなことをしたなぁと反省ばかりです。
それに気が付いてから、私は親というより、姉妹のようなつもりで子育てするようになりました。親であるという上から目線で子供と接することも止めました。

結構凄まじい反抗期もありましたが、いつの間にか成人して真面目に職にもついています。。
小さな頃、萎縮していた娘が、今はおおらかで、楽しそうに青春を謳歌しているのが嬉しくてなりません。

娘に「お母さん、今日は彼氏の所に泊まってきます」と最初に言われたときは本当にビックリしました
お友達の所に泊まるとか、朝までカラオケとか、いくらでも嘘がつけたでしょうに。

娘いわく「私がどこにいるのか分らないとお母さんは心配するでしょう?」その言葉に、とても幸せな気持ちになりました。母親に嘘はつきたくないと言う気持ちと、娘が登校拒否していた頃「お母さんが一人でおうちにいるのが心配」と泣いていた事とが繋がったからです。

私は娘の子育て」をしているつもりでしたが娘に「親になるため」に育てられていたんだなって今は思います。