海外のオークションで何気なく画面を見ていた時に
JAPAN DOLLの文字が目につき、思わず”推奨画面”にアクセス。

そこには5人家族に見える日本のオールビスクドールの写真がありました。
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モリムラなどのいくつかのブランドが第一次大戦時、ドイツの代わりに
短期間だけビスクドールを造ったことは知っていましたが、こんな小さな仏蘭西のミニョネット
のようなお人形を日本で作っていたとは知りませんでした。

とっさに”日本へ帰してあげたい”という気持ちがむくむくと・・。
そして、この子達は我が家へやって来ることになりました。

恐らく第一次世界大戦~太平洋戦争に入る前までに作られたお人形だと思います。
一番お母さんのように見える古いドールの背中には
NIPPONの刻印。
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他の子達にはJAPANの刻印。
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そして一番綺麗な恰好をした青いドレスの子の背中にはJAPANの刻印の上から
MADE IN OCCUPIED JAPAN(占領下の日本)と手書き文字が書かれています。

第一次大戦まで、幸か不幸か負け知らずで侵略戦争にひた走った日本。

資源が少なく国土が狭いこともあり、当時イギリスやフランスなども沢山の植民地を
抱えていましたから、日本も同じように植民地政策に乗り出し、多くの反感を
世界中からかっていきます。

パールハーバーで太平洋戦争を仕掛けた日本には、当時輸出入ができる国は
同盟国のみ。それを考えると、このお人形たちは1930年代までに造られて
デッドストックになっていた青い服の子と、先に輸出されていたまだ、国力のあった
NIPPON刻印の子とは立場が大きく違ったように思います。

デッドストックの子も進駐軍の指示によって占領下の日本という刻印のもと輸出を
許されたのでしょう。

NIPPONという刻印を背負ったお母さんお人形は、海外で辛い目に合わなかっただろうかと
胸が痛くなります。

そして、占領下の日本の刻印の子も、戦勝国アメリカに安ーく買われていったのでしょうね。

この5体のお人形は一人の方が集めてもっていらしたもののようです。
年代が違うものの、軽んじられて蔑まれていた”敵国日本”のお人形をこんなに
綺麗な状態で持っていていただけたことがとてもありがたいなぁと思いました。

そしてこのお人形たちをどうしても祖国へ戻してあげたい一心で
相場の分からない私は沢山のお金を入力したのですが、翌日見てみると
この5体がほんの40ドル程だったんです。

ドイツも同じく敗戦国でしたが、人形の歴史が古いのでこういうお人形は150㌦
なんてお値段が付いていたりします。
それからすると、、日本のお人形って海外の方には魅力のないものだったのでは
ないかと思うんです。

でも、こうして持っていてくださったこと、本当に嬉しいです。

この子達5体は大切に何かドールボックスを購入してしっかりと保管してあげたいなぁ。
腕や足は針金やゴムで結ばれていて、しっかり動きます。
一部の子は下着も付けていますが、お母さんドールはドレスが縫い付けられていて
脱がせません。でも本当に良い造りだなぁと感心します。

おかえりなさい。お疲れさまでした。やっと祖国へ戻れましたね。
変わってしまった日本ですがのんびり楽しんでくださいね。

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(本当に小さなビスクドール達です)
◆追記◆

この子達を撮影した背景の額に入っているのは1900年のフランスボンマルシェのカードです。
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(このカードは両端を折りたたむと卵の形になってリボンがかけれれています。
裏にはボンマルシェの当時の絵が描かれています)

このカードはドイツのお人形屋さんが、お礼にと書留で送ってくださったもの。

私が買ったお人形の代金を間違って、私にペイパルで返金処理をしてしまったそうで
そのことに私が気づく可能性って、、本当に少なかったと思うんですが
余りに人形を買いすぎていた私は怖くなってカードの請求明細を確認していた(いつもはしないです)
のでそれに気が付きました。
慌てて、お人形屋さんからのメールが届いていないかを探しましたら
ありました。
”私はとても困っています。私を助けてください。ペイパルがあなたに返金をしました。
私のお人形は手元からなくなり、お金もありません。どうかペイパルに気が付いて
支払ってください”

まぁ、お気の毒に・・。とお支払いをしたのです。そしたらメールでいいのに一通の
書留が二週間後位に届いて、お礼の言葉と1900年のボンマルシェのカードが同封
されていたのです。

わざわざ、お金をかけて、このカードを一枚送ってくださったことに
その店主さんのお人柄を感じました。だから、記念にこのカードを
額に入れてお人形部屋に飾っているんですよ。